4.研究論文:国際貿易における不等価交換

サミール・アミン、エマニュエルの従属派理論を継承し、リカード比較優位論を援用することで不等価交換のメカニズムを解析した論文です。

1.国際経済の実相

先進国・サミット主要7か国は、人口では世界の10%強にすぎないが、世界のGNPに占める比率は70%近くに達し、「産業上のもっとも重大な部分」といっていいいエネルギー消費量と粗鋼生産高では40%以上を独占している(表1)。したがって、経済的数字上は、「先進国がすべて」であり、人類の圧倒的部分が所属する後進国はとるにたりないものであるかのようだ。
20世紀のはじめ、レーニンは『帝国主義論』で六大強国が世界を支配していると指摘した。第二次世界大戦後、多くの植民地が独立し重要な進歩をとげたが、21世紀に入った今日も、先進国の独占と支配という点は変わっていないようだ。

表1ー93年発表統計

  人口 GNP億ドル エネルギー消費 粗鋼生産高
全世界 53億7300万 21兆6710 71億9981万t 7億1787万t
サミット7か国 6億5434万 14兆3124 31億0953万t 2億9694万t
7か国占有率 12.2% 66.0% 43.2% 41.4%

先進国のこの独占は、マルクス経済学の労働価値説の観点にたつならば、当然それは地球規模の帝国主義的搾取・収奪と考えざるをえない。
94年の国連統計によると、先進国は後進国に約1兆5000億ドルの債権をもち、さらに、それに比肩する直接投資がおこなわれていたと思われる。
さて、この先進国の債権は、後進国にとってはGNPに比肩するような巨大な債務であり、国の経済を支配するのに十分な大きさをもつものである。しかし、他方先進国にとっては、この債権は数字上はGDPにとりわけ大きな比率をしめるようなものとはいえない。(ただし、近年のアメリカの日欧からの対外債務は特異なもの)
このことは貿易についてもいえる。輸出入の国家経済にたいする比率も、先進国と後進国では雲泥の違いがある。(表2)。
すなわち、数字上表現されていることは、後進国にとって先進国との経済関係はまことに巨大だが、先進国にとっては後進国との関係はさほど大きなものでないかのようである。だが、これは真実なのか?先進国の経済が数字上大きく表現されているのではないか?
このパラドクスを解くカギは国際貿易の不等価交換という問題であると思う。

表2 貿易ー97年統計、債務ー91ー94年統計

  GDP
億ドル
輸出
億ドル
輸出の
対GDP比
対外債務
億ドル
債務の
対GDP比
アメリカ 5兆6千 5125 9.1% 3615 6.5%
日本 3兆3千 3974 11.9% ー3831 ー11.4%
韓国 2830 959 33.9% 472 16.7%
中国 3709 1198 32.3% 838 22.6%
インドネシア 1165 401 34.4% 895 76.9%
タイ 983 452 46.0% 458 46.6%
ブラジル 4011 436 10.9% 11327 33.1%

国際貿易の不等価交換を考えるにあたって、日本の対アジア貿易をみてみよう。
97年の総務庁統計では、日本の対アジア輸出は2012億ドルで、GDPの約6%にあたる。他方、韓国、中国、タイ、インドネシア、フィリピン、サウジアラビアの対日輸出は、合計で906億ドルにすぎないが、それぞれの国の生産物の10%前後にあたる(表3)。
すなわち、日本は自国の生産物の数%に過ぎない部分をアジア全域に輸出するだけの見返りに、アジア全体の多数の国々からそれぞれの生産物の10%近くを買い上げてしまっているのである。貿易における不等価交換が存在することは明らかだ。
因みに、日本の輸出品は約1億1664万トンだが、輸入品は7億7189万tもあり、輸出入とも機械類が最大品目となっている。

表3ー97年総務庁

  対日輸出額億ドル その国のGDPに占める率
中国 359 10%
韓国 173 6%
タイ 101 10%
インドネシア 142 12%
フィリピン 34 8%
サウジアラビア 97 11%

2.国際貿易における不等価交換のメカニズム

「帝国主義は、資本主義一般の基本的属性(競争)の発展の直接の継続として生じながら、一定の段階でその若干の諸属性がその対立物(独占)に転化しはじめたたときに発生した。」(レーニン『帝国主義論』)
帝国主義は、国内に巨大に集積された資本と金融独占体を形成しつつ、国際的には帝国主義本国と植民地国あるいは、先進国と後進国という分岐をうみだした。資本主義的競争を継続しつつ、帝国主義本国(先進国)は、植民地(後進国)に対して技術移転を抑制し、産業の国際特化(国際的分業の固定化)を作り出した。産業の国際特化ー固定化は、工業対農業、重工業対軽工業、あるいは超近代工業対古典的産業、さらにはハイテク産業の分業などという変化を伴いながら現在にまで至っているといえる。

国際貿易における不等価交換は、ここで先進国に特化・独占された産業がその高い生産力によって特別剰余価値のようなものを形成し、そこで為替レートが決定される。そのことによって先進国の労働がより強められた労働として算定され、後進国から他の産業分野で現実により大きな労働量が投下された商品と交換されることによると考えられる。
(参考ー資本論1巻編10章特別剰余価値「例外的な生産力をもつ労働は、強められた労働として作用する」)
上記のことは「先進国が生産力水準が高いから豊かである」といっているのではない。もし、そうなら後進国からの輸入品が安いということがまったく説明できない。「安い」とは一般的には、「生産力が高い」ということなのだから。
そうではなく、「特別剰余価値のようなもの」が形成されるというときのポイントは、産業・部門別に生産力の差が大きく異なるということである。重工業は、資本の集積により巨大な生産力を生み出すであろう。他方、自然依存性の高い農業は、資本の集積に対し工業のような飛躍的な生産力の拡大はしないであろう。「特別剰余価値のようなもの」は輸出と輸入でアンバランスに作用するということである。

例えば、先進国からの自動車や電気製品などの輸出品が実際に投入された労働量より大きく算定され、そのことで後進国から実際により大きな労働量を投入した農産物や衣料品が輸入される、不等量の労働が交換されるということである。
マルクス経済学の原理論では、同じ種類の商品は同一の価格をもつことが前提とされるが、周知のように商品の価格は国によって異なる面がある。また、一般に後進国の商品は安いと言われるが、自動車や電気製品はむしろ先進国の方が安い例も多い。そこには上記のようなメカニズムが働いていると考えられる。
先進国からの輸出品が輸出品として成り立つのは、価格競争力があるか、あるいはそれが後進国で生産しえないものだからである。それは、自然成長的な生産力格差というより、意図的に技術移転を阻止する、ブラックボックスをつくるなど帝国主義的独占といえると思われる。

次に、上記のメカニズムを例解してみよう。
日本とタイで、自動車と玉ネギについて、それぞれ以下の労働量を投下することが必要だとする。

  自動車一台 玉ネギ一単位
日本 10時間 40時間
タイ 110時間 50時間

日本は、タイに自動車を100時間労働に相当する価格で輸出し、特別剰余価値をかせぐ。そして、為替貿易で玉ネギ2単位を輸入する。かくして、10時間と100時間という10倍の不等な労働量が交換された。輸入玉ネギの価格でいえば、一単位に5時間の労働量が投下されているのみだから、国産の玉ネギの8分の1の価格で販売することが可能となる。
以上はあくまでも「例え」であるが、このようなメカニズムが不等価交換を形成するということである。

追加。外資系の後進国での現地生産についていえば、外資系の工業生産などに有利で、その国自身の農業生産などに不利な、極端な「鋏状価格差」のようなものを形成されていると考えられる。

3.リカード「比較優位論」について

2の不等価交換のメカニズムが、リカードの「比較優位論」を援用・利用したものであることにお気づきの方も多いと思う。次に「比較優位論」をみてみよう。

リカードは、『原理』7章で国際分業について以下のような有名な提起をおこなっている。
ポルトガルとイギリスのワインと羅紗の生産に必要な労働量

  ワイン一単位 羅紗一単位
ポルトガル 80人の年労働 90人の年労働
イギリス 120人の年労働 100人の年労働

という条件の下では、ポルトガルがワインの生産にに特化し、イギリスが羅紗に特化して貿易することで、双方の国にとって労働節約的となり有利であると。

ここで注目すべき点は、①国家ごとに生産力に格差があること、またそれが産業部門間によって違うこと、②その場合、国際貿易においては相対的に優位な生産部門に特化する傾向があること、③そのことにより、輸出先の国より生産水準において劣った商品が輸出されうること、などである。

自由主義段階の資本主義では、イギリスの羅紗の生産力は次第にポルトガルにキャッチアップし、また、自然依存性の強いワインでもフランスやイタリアが競争ヘ参入し、生産力水準の普遍化は国境を越えてすすんだであろう。

しかし、帝国主義段階に推移すると、競争は独占にかわり、国際特化は帝国主義の世界支配のテコとして固定化されていく傾向をもったといえるだろう。

4.従属派エマニュエルの不等価交換論

スターリン以降のマルクス経済学の主流派は、後進国は次第に先進資本主義国に発展するという立場にたち、国際貿易の問題も生産力格差一般に解消した。従属派は、このような考え方が後進国の現実とかけ離れていることを弾劾し、中心(先進国)による周辺(後進国)の搾取・収奪を指摘した。この中で、国際貿易の不等価交換を提起したのはエマニュエルであった(69年「ルモンド」エマニュエルーベトレーヌ論争)。
エマニュエルは、資本は国際的に移動するが労働力は移動しない、中心(先進国)にくらべ周辺(後進国)の労働者の賃金は著しく低い、したがって、周辺の特殊な輸出品は利潤率均等化の法則により安い価格を形成し、国際貿易が不等価交換になると主張した。
国際貿易における不等価交換を指摘した意義は大きいが、理論的にはいくつかの難点がある。

まず、利潤率均等化の法則は、商品の価値は投下された労働量によって決まるが、資本は様々な有機的構成をもっており、商品の価格は、費用価格に応じて、すなわち総資本が総剰余価値を比例配分するかたちで決まるというものである。したがって、本来、個別の賃金の上下は価値にも価格にも影響しない。なぜなら、市場は商品の個別の生産事情を考慮しないからである。
エマニュエルの提起した条件なら、自由主義段階であったなら、資本の中心における空洞化をもたらすだけであろう。
低賃金によって価格が低くなるのは、帝国主義が産業の国際特化を固定化するからであり、むしろ資本の自由な移動を抑制するからである。

また、確かに賃金格差の一端は、周辺・後進国の労働者がより搾取されているからであるが、それだけではない。賃金は労働者の生活費である。そこにおいて、やはり後進国の方が商品の価格が安いという面があるのである。後進国の商品の安さを、先進国に特化された産業部門の特別剰余価値の形成による不等な交易条件の強制としてつかまなければならないと思う。

エマニュエルは、不等価交換が中心による周辺への搾取を産んでいると考えたのだが、むしろ、中心(先進国)の周辺(後進国)への帝国主義的支配が不等価交換を形成しているといえると思う。

5.分析上の二つの視点

以上の分析は、帝国主義段階論の視点からおこなわれた。すなわち、帝国主義段階では、資本主義の一般的属性が継続されるとともに、その若干が反対物に転化しはじめるということである。
資本主義の法則は、世界を単一の市場として国境をこえていく傾向をもつのであるが、歴史的に国民国家という枠組みを完全にとり払うことはできない。むしろ帝国主義段階では国家という枠組みを強化し、それを媒介にせざるをえないといえる。
真の国際主義は、資本主義を超えたところに実現されるということではないか。

2002年10月(初稿1998年)