『中国共産党100年の歴史決議』を読んでみた

2021年 11月16日新華社は、中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議で採択された『党の百年奮闘の重要な成果と歴史的経験に関する中共中央の決議』(以下、『歴史決議』)の全文を公表した。様々なところで論評されている文書でもあり、一読してみた(日本語A4で30数ページ)。

1、『歴史決議』の内容について、以下、紹介する。

『歴史決議』はその序文で、「中国共産党は1921年創立以来、終始一貫して中国人民の幸福の追求、中華民族の復興の追求を自らの初心・使命とし、終始一貫して共産主義の理想と社会主義の信念を堅持し、・・・新民主主義革命の偉大な成果を収め、自力更生して富強化に努め、社会主義革命と社会主義建設の偉大な成果を収めた。また、思想を解放し鋭意邁進し、改革開放と社会主義現代化建設の偉大な成果を収め、新時代の中国の特色ある社会主義の偉大な成果を収めた。」としている。

「Ⅰ」として、1949年中華人民共和国の建国までを「新民主主義革命の時期」としている。そして、1840年のアヘン戦争以降、西側列強(帝国主義)の侵入と封建的支配に対して、民族の独立と人民の解放をかち取り、中華民族の偉大な復興を実現することが党の任務であった、とする。

ロシア革命の影響の下、1921年7月中国共産党が誕生、1927年4月国民党内反動派によるクーデタでの敗北(陳独秀の右翼日和見主義)、27年8月朱徳らの南昌蜂起を経て土地革命と武装蜂起を断行するという方針の確定、秋収蜂起と広州蜂起等、蜂起の多くが失敗する中、活動の軸足を大都市への進攻から農村への進出に移し、毛沢東が井岡山で最初の農村革命根拠地をうち立て、王明による「左」翼教条主義の誤った指導の下で中央革命根拠地の反「包囲討伐」作戦が敗北した後、赤軍は長征を経て陝西省北部に転戦したと振り返る。

1931年九・一八事変後、中日民族対立が次第に国内の階級対立を超えて主要な矛盾となったとし、抗日救国運動を広く展開するとともに、1935年1月遵義会議で毛沢東の指導的地位が確立、翌年西安事変の平和的解決を促して、国共両党の二度目の合作を果たし、1937年七・七事変後、党は抗日民族統一戦線政策、持久戦、人民戦争の戦略・戦術をうち出し、実行に移し、広大な敵後方戦場と抗日根拠地を切り開き、勝利をかち取ったとする。そしてこれは世界反ファシズム戦争の勝利の重要な構成部分でもあった、とする。

1946年からの解放戦争期において、国民党反動派が全面的な内戦を引き起したのに対し、積極的防衛から戦略的進攻に転じ、国民党反動派の800万人の部隊をせん滅したことで国民党反動政府を打倒し、1949年10月1日に中華人民共和国の成立を宣言、民族の独立と人民の解放が実現し、旧中国の半植民地・半封建社会と旧中国の四分五裂の状態及び広範な勤労人民がごく少数の搾取者に支配された歴史終止符が打たれ、列強が中国に押しつけた不平等条約と中国における帝国主義のすべての特権が廃止された、とする。

「Ⅱ」は、「社会主義革命を完成し社会主義建設を推進する」として、「改革開放」までの時期を取り上げている。1956年第8回党大会は、生産手段の私有制に対する社会主義的改造が基本的に成し遂げられ、生産手段の公有制と労働に応じた分配が基本的に実現し、社会主義経済制度が確立したとし、国内の主要な矛盾はもはや労働者階級とブルジョアジーとの間の矛盾ではなく、経済、文化の急速な発展に対する人民の需要と当面の経済、文化が人民のこの需要を満たしえないという現状との間の矛盾に変わったとする。そして、党は平和共存の五原則を提唱・堅持し、国家の独立、主権、尊厳を断固守り抜き、世界の被抑圧民族の解放事業や新興独立諸国の建設事業、各国人民の正義の闘争を支持し、援助を行い、帝国主義、覇権主義、植民地主義、人種差別主義に反対して、旧中国の屈辱的な外交に終止符を打った、とする。

1966年からの文化大革命については、毛沢東は当時のわが国の階級的情勢および党と国家の政治状況について、まったく誤った判断を下したことで「文化大革命」を引き起こし、これを指導した、一方で、林彪反革命集団と江青反革命集団は毛沢東の誤りにつけこみ、国と人民に災いをもたらす大量の犯罪行為を働き、十年に及ぶ内乱を招いて、党と国家と人民に新中国成立以来の最も大きな挫折と損失を来し、その教訓は非常に痛ましいものであった、1976年10月、中央政治局は党と人民の意志を体して、「四人組」を断固粉砕し、「文化大革命」という災難に終止符を打った、としている。

「Ⅲ」は、改革開放・社会主義現代化建設についてである。1978年12月、鄧小平を代表とする党は11期3中全会で、「階級闘争をカナメとする」方針を断固として廃止し、党と国家の活動の中心の戦略的転換をなし遂げ、改革開放と社会主義現代化建設の新時期をスタートさせ、新中国成立以来の党の歴史において深遠な意義をもつ転換を実現し、「文化大革命」を根本から否定する政策決定を行い、40余年来、党はこの路線・方針・政策を終始変えることなく堅持している、としている。

  1987年13期4中全会以降については、江沢民を代表とする党は、極めて複雑化している国内外の情勢や世界の社会主義の大きな挫折という厳しい試練を前にして、党は中国の特色ある社会主義を守り抜き、社会主義の初級段階における、公有制を主体として多種類の所有制経済をともに発展させるという基本的経済制度と、労働に応じた分配を主体として多様な分配形態が並存する分配制度を確立し、全面的な改革開放の新局面を切り開き、中国の特色ある社会主義を成功裏に21世紀へと推し進めた、対外開放を基本国策として、深圳などの経済特区の開設、上海浦東の開発・開放、沿江・沿海・沿辺・沿線地区と内陸部中心都市の対外開放の推進から世界貿易機関(WTO)加盟まで不断に開放を進め、外資誘致から海外展開まで、国際・国内の二つの市場、二つの資源を十分に活用した、とする。そして、1980年代末から90年代の初めにかけて、ソ連が解体し、東欧が激変した、海外の反共・反社会主義の敵対勢力の支援と扇動に加え、国内外情勢のあおりを受けて、1989年の春から夏への変わり目にわが国でゆゆしき政治的風波が起きた(6・4天安門事件)、党と政府は人民に依拠し、旗幟鮮明に動乱に反対し、社会主義の国家政権と人民の根本的利益を守り抜いた、と続ける。

「Ⅳ」は、習近平が総書記となった 2012年第18回党大会―第18期1中全会以降、「中国の特色ある社会主義」について、『歴史決議』の半分のスペースを割いてその成果と正当性を述べている。

他方で、「外部環境の変化によって数多くの新たなリスクや試練がもたらされ、国内の改革・発展・安定は長年解決しえなかった、深層部に潜む多くの矛盾や問題と一部新たに生じた矛盾や問題に直面し、一時的なあまい党管理・党内統治で党内の消極腐敗現象が蔓延し、政治生態が悪化し、党と大衆、幹部と大衆の関係が損なわれ、党の創造力、結集力、戦闘力が弱まり、党の治国理政が厳しい試練にさらされている」ことが表明されている。

「(一)党の全面的指導の堅持について」と「(二)全面的な厳しい党内統治について」では、党の集権的な強化が強調されるとともに、「縁故者だけを任用し、異分子を排除し、徒党を組み、派閥をつくる者、密告し、デマを流す者、人心を買収し、不正な票集めをする者、『君にあのポストを』などと約束したり、『あいつが昇格したから次は自分だ』などと前祝いしたりする者、自分のやりたいようにやり、面従腹背する者、上からの統率が効かないほどの勢力を拡大し、中央の方針について妄議する者もある」として、「腐敗は党の長期的政権基盤にとって最大の脅威であり、反腐敗は、負けることが許されない重要な政治闘争であり、何百何千の腐敗分子の機嫌をとれば、14億の人民の怒りを買うことになるため、権力を制度というオリに閉じ込め、規律・法律に基づいて権力を設定・規範化・制約・監督しなければならない」としている。

「(三)経済建設について」「(四)改革開放の全面的深化について」では、改革開放・社会主義現代化の成果を強調するとともに、「一部の地方と部門の速度・規模への一面的追求や粗放型の発展パターンなどの問題に加えて、国際金融危機後、世界経済の伸び悩みが続いた影響で、経済の体制的・構造的な矛盾が長期にわたって蓄積され、発展の不均衡・不調和・持続不可能といった問題が大いに際立っている。党中央は、わが国の経済発展が新常態に入り、高速成長の段階から質の高い発展を目指す段階へと切り替わり、成長速度の変換期・構造調整の陣痛期・過去の刺激策の消化期という三期重複の複雑な情勢に直面しており、従来の発展パターンの継続はもはや困難である」と指摘している。他方、「改革開放にも終わりはないのである。 開放は進歩をもたらし、閉鎖は遅れをくになるという意識から、わが国の発展が優位を占め、主導権を握り、未来を切り開くには、経済グローバル化に順応し、わが国の超大規模の市場の優位性を拠り所とし、より積極的かつ能動的な開放戦略を実施しなければならない」として、あくまでも「改革・開放」路線を推進することを謳っている。

「(五)政治建設について」「(六)全面的な法に基づく国家統治について」に続く、「(七)文化建設について」では、「党中央は、ネット世論にしっかりと対応できなければ、長期的執政がありえないと明確に指摘した。党はイデオロギー闘争における主陣地、主戦場、最前線最もとしてのインターネットを高度に重視して、インターネットに対する指導・管理体制を整備し、法に基づいてインターネットの管理・ガバナンスを堅持し、清朗なサイバースペースを築き上げた。」としている。

「(八)社会建設について」では、「第18回党大会以来、全国で832の貧困県と12万8000の貧困村から貧困をなくし、1億近くの農村貧困人口が貧困から脱却し、10年も繰り上げて国連の『持続可能な開発のための2030アジェンダ』の貧困削減目標を達成し、史上初めて絶対的貧困の問題を解決した」「2020年、突如として発生した新型コロナウイルス感染症に直面して、党中央は果断に政策を決定し、・・感染症と戦う人民戦争・総力戦・阻止戦を繰り広げ、・・一貫して海外からの輸入感染防止と国内の再発防止に尽力し、感染症対策と経済・社会発展の両立を堅持し、人民の命の安全と体の健康を最大限に守り、世界に先駆けて感染症を抑え、操業・生産を再開し、経済・社会の発展を回復した」「世界最大規模の社会保障体系が整い、基本養老保険の加入者は10億2000万人、基本医療保険の加入者は13億6000万人に及んだ『住宅は住むためのものであり、投機のためのものではない』という見地を堅持し、・・・都市・農村住民の居住状況が目に見えて改善した」としている。

「(九)生態文明建設について」では、「グローバルな環境対策と気候変動対策に積極的に参加し、可能な限り2030年までに二酸化炭素排出量ピークアウトを、2060年までにカーボンニュートラルを実現すると宣言し、責任ある大国としての使命感を示した」とし、 「(十)国防・軍隊建設について」は「2027年までに建軍百周年の奮闘目標の達成、2035年までに国防・軍隊の現代化の基本的実現、今世紀半ばまでに世界一流の軍隊整備の全面的完成」という国防・軍隊の現代化の方針を明らかにしている。

そして、「(十一)国家安全保障について」は、「新時代に入り、わが国が直面する国家安全保障情勢はいっそう厳しくなり、外部からかつてみない圧力がかかり、伝統的安全保障上の脅威と非伝統的安全保障上の脅威が入り交じり、むやみに譲歩すれば際限なく虐げられ、我慢すればさらなる屈辱を招くことになる。外部からの極端な抑止や攻撃を跳ね返して、香港、台湾、新疆、チベットおよび海洋などにかかわる闘争を展開し、海洋強国の建設を加速し、国家の安全を効果的に守った」とされ、「(十二)「一国二制度」の堅持と祖国統一の推進について」では、「香港・澳門の事柄への外部勢力による干渉を断固として防ぎ食い止め、分裂、転覆、浸透、破壊活動に厳しい打撃を与えた」としている。

 

「Ⅴ 中国共産党の百年奮闘の歴史的意義」では、「創立当時、党員はわずか50数名であった中国共産党は、今日では、9500万余りの党員を擁し、人口14億余りの大国を導き、グローバルな影響力をもつ世界最大の執政党となっている」とする。

2、『歴史決議』の背景にある状況 ― 中国の驚異的な経済成長と「平和共存」

中国は1978年の改革開放政策を取って以来、驚異的な経済成長を実現してきた。下の表にあるように、中国名目GDPの推移は、1978年から50倍以上になり、21世紀の20年では約14倍となった。中国は今や米国のGDPの約70%、日本の約3倍で、世界第2位の経済大国となっている。

21世紀の20年 16,862.98/1,205.53≒14倍

改革開放1978~の40年 16,862.98/303.00≒56倍

1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989
303.00 288.70 284.60 305.43 314.23 310.13 300.92 327.73 408.66 458.18
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
396.59 413.21 492.15 617.43 561.69 731.00 860.47 957.99 1,024.17 1,088.35
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
1,205.53 1,333.65 1,465.83 1,656.96 1,949.45 2,290.02 2,754.15 3,555.66 4,577.28 5,088.99
2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019
6,033.83 7,492.21 8,539.58 9,624.93 10,524.24 11,113.51 11,226.90 12,265.33 13,841.81 14,340.60
2020 2021
14,866.74 16,862.98

単位: 10億USドル

中国がこの驚異的な経済成長を実現した背景の一つは、1972年の米中共同声明―1979年の米中国交正常化以来の「平和的な」外交関係があったといえる。米ソ冷戦構造と中ソ対立、ソ連の崩壊という過程を経て、中国は朝鮮戦争やベトナム戦争のような直接な軍事的介入や、あるいは体制の転覆をめざすような経済制裁を受けることなく「平和共存」に向かうことができたという歴史的経緯があったと思われる。

もう一つの背景として、21世紀の、特にリーマンショック以降の世界経済のパワーシフトがあるといえる。世界経済のパワーシフトは、一方では中国の経済成長と台頭によるものであると同時に、他方で、中国の特異な経済成長の条件にもなったといえるであろう。

20世紀は「帝国主義の時代」として列強が世界経済を独占し、1990年頃まではサミット7か国がGDPで70%近くを独占していたが、21世紀に入って帝国主義の独占は徐々に後退し、現在ではそれは50%を割っている。

20世紀の旧植民地諸国は、政治的独立後もその経済が新植民地主義的な従属経済から脱出できないできた。中国経済も従属的な経済の性格を強く持っていたが、共産党の強力な国家権力の存在が他の発展途上国とは違っており、それが中国経済が従属的な経済に留まらず、21世紀にそれを脱する結果をもたらしたとはいえるであろう。

中国国家統計局が2019年11月27日に発表した第4回全国経済一斉調査報告によると、2018年末時点の全国の民営企業数は1561万4千社で、2013年末より178.6%増加、全ての企業法人に占める比率は68.3%から84.1%に拡大した。国有持株会社は24万2千社で、2013年末より10.9%増加した。国有持株会社が全ての企業に占める割合は1.3%に過ぎないが、従業員数の占める割合は15.7%に上り、依然として国民経済の発展を支える中核的役割を果たしている、という。中国の経済は国有化経済と民間企業の混合経済といえるが、依然、共産党の国家権力が経済の管制高地を握っているといえるのではないか。

3,中国「改革開放・社会主義現代化」の現在と未来

中国共産党は、「民族解放」を「中華民族の復興」と言い換え、一国的な社会主義の建設に留まることで米帝国主義等との平和的な外交関係を維持し、ここ数十年特異な経済的発展を実現してきた。

しかし、現在、中国の経済発展がこのままでは続けば米帝国主義の覇権が崩壊するという、あたかも20世紀の「帝国主義の不均等発展の矛盾」のような矛盾を現出させ、帝国主義の中国への圧力が急速に強まっている。

中国が20世紀初頭、日本など帝国主義列強の侵略によって植民地化されたこと、それに対して共産党が民族解放戦争を勝利させたこと、1978年以来の「改革開放・社会主義現代化」が国際的な一定の対外条件の中で驚異的な経済発展を実現させたこと、さらに、現在、先進帝国主義が中国への様々な圧力を加えるようになったことからして、再び帝国主義に従属することへの回帰を望まない中国人民にとっては、『歴史決議』は相当の説得力があるものといえるであろう。

しかし、『歴史決議』自身が認めているように、中国は最早「従来の発展パターンの継続はもはや困難である」という現実に直面している。中国を取り巻く国際環境が変わり、党の腐敗、党と人民の矛盾、経済格差など、様々な問題が噴出している。

これに対して中国共産党は、「改革開放には終わりはない」として「改革開放」の路線をあくまで推し進め、ひたすら党の中央集権的な強化をはかり、香港などの民衆の抵抗に対しては「むやみに譲歩すれば(外部勢力に)際限なく虐げられ、我慢すればさらなる屈辱を招くことになる」「外部勢力による干渉を断固として防ぎ食い止め、分裂、転覆、浸透、破壊活動に厳しい打撃を与える」として苛酷に弾圧している。だが、このような硬直的な権力的対応は早晩必ず行き詰るであろう。

逆に、中国の人民が硬直した党を乗り越え、新しい民主的な社会主義の建設とその国際主義的な連帯闘争に踏み出した時、世界は大きく変わっていくのではないだろうか。

2022年1月11日