8.研究論文:デヴィッド・ハーヴェイ・『資本の謎』と『資本論』の恐慌理論の展開

1、金融危機に示された資本主義の本質とは何か

 2008年のリーマンショックについて、その経済指標を批判的に分析した論評は少なくはなかった。しかし、デヴィッド・ハーヴェイ『資本の謎』(作品社、以下引用ページは同書)は、それにとどまらず、金融危機の分析から、なぜ、資本主義が周期的に危機・恐慌を繰り返すのか、資本主義がどのように機能しているのかを、資本論に踏まえて理論的に解明しようと試みている。これまでの資本論研究と言えば訓詁学的な閉鎖性が目についたが、本書は、新古典派経済学の破産の上に、マルクス主義を実証的に復活させようという意欲を感じさせる魅力的なものだ。この論考では、ハーヴェイの議論に向き合いながら恐慌理論について深めていきたい。

2、恐慌―「過剰生産という疫病」

 『共産党宣言』では、恐慌を「これまでのあらゆる時代に不合理としか思えなかった過剰生産という疫病」と呼んでいる。

 前近代の「飢饉」は、火山噴火や冷害などの自然災害、土地の荒廃、感染症の流行といったことを原因に農業生産物自身が不足して惹起した。これに比して生産物が市場に対して過剰に存在するがゆえに、労働者が生活の糧にこと欠くという資本主義の恐慌は、正に矛盾と「謎」に他ならない。

 資本主義の危機と恐慌を考察したハーヴェイの本書では、資本主義が成長を続けるためにはその規模が巨大になり過ぎたことを示すため、アンガス・マディソンの計算による財とサービスの世界総生産高の歴史的推移を示している(P44~45)。これに人口の推移をつけ加えてみる。

1820年 1913年 1950年 1973年 2003年 2009年
6940億$ 2兆2千億$ 5兆3千億$ 16兆$ 41兆$ 56兆2千$
1804年 1927年 1974年 2012年
10億人 20億人 40億人 70億人

世界の総生産物は、1820年を「1」とするお、1913年には約3倍、1950年には約7.5倍、1973年には約23倍、2009年には約80倍にも増加している。

人類は資本主義時代になって以来、人口を爆発的の増加させて、上記の表のように人口は1804年から1927年で2倍、1974年で4倍、2012年で7倍となっている。しかし、生産物の増加はそれと比しても桁違いである。

したがって、物質的生産力をみるだけなら、人類一人一人が、19世紀初頭と比して、10倍豊かになっても全然不思議ではない。戦後の高度成長が終焉した1973年から見てさえ、現在の生産物は3.5倍にもなっており、人口が40億人から70億人になったことを考えても、2倍豊かになってしかるべきである。にもかかわらず、世界は、2008年リーマンショック以降、とりわけ先進国ではますます貧困層が拡大しているのである。ここに、資本主義の矛盾―「謎」がある。

ハーヴェイは、資本の流れ(キャピタル・フロー)の中断を危機・恐慌と捉え、資本の流れを阻害する潜在的障壁・制限(バリア)を多角的に分析していく。しかし、前述したように恐慌は、単純に資本の生産が阻害されて生産が滞るわけではない。恐慌は、過剰生産、すなわち「総需要」が「総生産」に満たないことを根幹に、部分的な資本流通の停滞ではなく、全般的な商品の貨幣への転化が阻害される事象である。過剰生産に伴い過剰資本として生産設備が廃棄される。また、金融恐慌にあっても、過剰な資本は単に投資先がなくて待機しているのではなく、過剰生産状態を基底に、金融債権に「収益の裏づけ」がないことが劇的に露呈して生起するのである。ハーヴェイの恐慌論はこの点でもっと深化させる必要がある。

3、資本主義的生産関係の拡大再生産―需要と生産は表裏一体

ハーヴェイは「昨日の利潤の一部を新たな資本に転化できるかどうかは、追加的に雇用される労働者を養う賃金財の増加量だけでなく、増大する生産手段量が利用できるかどうかにかかっている。・・言いかえれば、資本は拡張に先だって、自己自身の拡張を持続させるための条件を作り出さなくてはならない! そんなことがどうやってスムーズに困難なくできるのだろうか。」(P94)と記している。

資本は生産物を拡大再生産させるのみならず、資本主義的生産様式自身を拡大再生産させなければならない。まさに、ここに資本主義的再生産が、貨幣を媒介にした単純な商品交換と違って、過剰生産―「売りと買いのアンバランス」を作り出しうる根拠がある。

 『資本論』にならってこの過程を図式で表すと

G→W…P…W'1→G'→W2'…P'…W"1→G"→

となる。Gは貨幣資本、Wは商品資本、Pは生産資本、'は剰余価値の形成を示す。

 ここでの核心は価値を増殖して生産された商品W'が貨幣G'に転化できるかどうかである(マルクスは、「商品の生命がけの飛躍」と言っている)。しかし、そのような売買が成立し、資本の流れが続くためには、再びP'という再生産が可能でなければならない。

 需要は、浪費的な部分を除くと、①生産手段の投資と②生活財の消費から構成される。しかし、これらふたつの生産的需要は各個バラバラに存在するのではなく、生産設備と労働力の再生が有機的に組み合わさって拡大された再生産をなしうるものでなければならない。そうでなければ、需要は結実せず、供給に追いつかない。

生産手段の部門間の不均衡なら市場の競争によってバランスするのであるが、労働力の充足は資本が直接的に生産することができず、人口の自然増と相対的過剰人口の形成と吸収によらなければならない。ハーヴェイはこれに関して、資本論の記述に踏まえ、解雇等された労働者である産業予備軍=流動的過剰人口の吸収と、まだプロレタリア化されてない農村などの住民(潜在的過剰人口)の動員を取り上げている(P86)。

 この点をもう少し分析的にみていくために、『資本論』Ⅱ巻21章の再生産表式を示す(恐慌論が未完成な『資本論』の中で、再生産表式はその最後に執筆された部分である)。

有機的構成の不変な拡大再生産の一例をとってみる。

1年目
Ⅰ4000c+1000v+1000m=6000
Ⅱ1500c+750v+750m=3000
2年目
Ⅰ4400c+1100v+1100m=6600
Ⅱ1600c+800v+800m=3200

Ⅰは生産手段の生産部門、Ⅱは生活財の生産部門、cは不変資本、vは可変資本=労働力、mは剰余価値100%を表す。

1年目にⅠ部門の生産した6000生産手段が2年目のⅠとⅡの6000cになり、1年目にⅠ部門の生産した3000生活財のうち労働者が1900vを消費する(余剰がない場合、残り1100は資本家の贅沢品に消費される)。

ところで、1年目から2年目にかけて、労働力vは、1750から1900へ増加しているのだが、資本が生産するのは1900という生活財にすぎず、それに比例した労働者人口の増加はこの表式の外部から持ち込まれるしかない。すなわち、資本は労働者の生活財は生産するが、労働者そのものを作りだすわけではないのである。

ここで、資本の有機的構成が不変の場合(労働節約型の改変が行われない場合)、労働力のたえざる増加が資本の流通と拡大再生産の条件となっていることが明らかだ。逆に、もし、労働力が必要数に増加できなければ商品の過剰生産となる。なぜか。

労働者の賃金は最低限に制限されているから、労働者の人口が増加しなければ、労働者の生活必需品の需要が停滞し、第Ⅱ部門で生産された商品の過剰がうまれる。そして、当然、生活必需品の需要の停滞は、まず、第Ⅱ部門の生産手段の需要の停滞となり、それに伴って、第Ⅰ部門の生産手段の需要も停滞するからである。

別の面から見れば、拡大された規模での需要を作り出すためには、拡大された規模での再生産が可能となる条件がそろって満たされなければならない。そうでなければ総需要は拡大された総生産の大きさに間に合わず、過剰生産としての恐慌を惹起する。なぜなら、労働力人口の増加の制限は、生活財の需要の停滞を生み出すだけでなく、新たな生産に労働力を充足できないことから投資を制限し、生産手段の需要の停滞も生み出すであろうから。個別資本家のレベルで考えれば、生産の諸条件が揃うことが見込まれないのであれば、生産手段への投資を控えるであろう。このような関係は、たんぱく質形成における「必須アミノ酸の樽」にも似ている。そこでは生成されるたんぱく質の量は最も充足率が少ないアミノ酸の量に規定される。

資本主義における需要は、浪費的な部分を除外して考えると生産的な需要(生産手段の需要と労働力再生産のための生活財の需要)であり、それが再生産を可能とする構成でなければ需要として結実しない。このように生産と需要は表裏一体の関係にあるのである。

次にレーニン『いわゆる市場問題について』の資本の有機的構成の高度化する労働節約型の投資による再生産表式を考察してみよう。有機的構成とはcとvの比率であり、傾向的に生産水準があがると、cはvに対して拡大する。
1年目
Ⅰ4000c+1000v+1000m=6000
Ⅱ1500c+750v+750m=3000
2年目
Ⅰ4450c+1050v+1050m=6550
Ⅱ1550c+760v+760m=3070

この表式でも有機的構成が高度化(労働節約型の投資を)しているにもかかわらず、資本が流通し拡大再生産するためには、労働力人口が1750から1810へ増加することが必要となっていることがわかる。したがって、労働力が増加できないと、前掲の表式の場合と同様に過剰生産となってしまうのである。

上記表式の数字に特別の意味はないが、現実の生産でも経験が示すとおり、通常の資本の拡大再生産は労働力人口の増加を不可欠とするであろう。ところが、資本はこの労働力を他の商品とはちがって直接には生産できない。そこで、資本は有機的構成の高度化(労働節約型の投資)によって相対的過剰人口を形成するのであるが、この有機的構成の高度化は、好況期には固定資本・生産設備の現物形態に規定されて抑制されると考えることができる。更新期限のきていない固定資本・生産設備の廃棄は価値損失となり、労働力節約型の投資を抑制する要因になるからである。このように、ある程度労働力節約型の投資が進んでも、資本の拡大再生産は、労働力人口の増加に依存せざるを得ないのである。

固定資本が巨大化し、有機的構成の高度化(生産設備の巨大化)と利潤率の低下がすすめばなおさら既存の固定資本の廃棄は困難になる。利潤率の傾向的低下が直接恐慌を導くものではないが、新たな次元での拡大再生産の形成への障壁・制限となり、恐慌の重大な要因となるのである。また、利潤率の低下は金融債権の価格の増大をもたらし、金融恐慌の条件ともなる。

4、種々の恐慌理論の概括

マルクスが恐慌を「ブルジョア的経済のあらゆる矛盾の現実的総括および暴力的調整」(剰余価値学説史)と記したのを踏まえ、ハーヴェイは「恐慌は資本主義のシステムの不合理を合理化するもの」と呼んでいる。そして、これまでの種々の恐慌理論について概括している(P149~151)。

ハーヴェイは、これまでの恐慌理論として、①労働力不足からくる賃金の上昇による利潤圧縮説、②労働節約型投資による利潤率の傾向的低下説、③労働者の低賃金からくる過少消費による有効需要の不足説をあげ、互いに激しくセクト的に論争してきたとする。

これに対して、彼は、恐慌形成に関しての「はるかに良い考え方」として、資本の流通にはいくつもの潜在的な限界と制限があり、どの要因であれ、資本の流れを遅滞・中断させるなら、恐慌を引き起こして資本の減価ないし喪失をもたらすと提起している。

しかし、先にも述べたように、恐慌は資本流通の停滞一般ではないし、生産の条件を欠いて生産物が不足するわけでもない。実際、1973年以来のいくつもの金融恐慌でも、衣料品・住宅・家電・自動車などはいつもあり余っており、生産物が不足したわけではない。そうではなく、恐慌によって労働現場を離脱させられ、賃金を押し下げられた労働者たちにはこれらの生産物が手の届かないものになっただけである。恐慌は総需要が総生産を下回ることが劇的に露呈されて発生し、その過剰生産が継続して不況となるのである。

社会的な生産を、私的利潤の獲得という動機において無政府的に行う資本主義的生産が、市場の売買を通じてバランスし、拡大再生産を続けていくという資本主義システムの不安定性の中に恐慌の可能性が内在している。資本が直接生産できない労働力商品の不足を根幹的問題としながら、それを補う労働節約型の投資が様々な要因で障害され、「支払い能力ある有効需要」=「拡大された再生産」が組織できない時点で過剰生産状態が発生し、資本価値の廃棄を伴う恐慌が発生すると考えられる(この過程を時間的空間的に媒介するのが金融資本である)。そして、生産設備の廃棄が労働節約型投資を促し、さらに非資本主義地域への市場の拡大を促進し、資本は恐慌を克服して拡大際生産を再開、次の恐慌を準備していくものと言える。

5、実際の恐慌の様相

 恐慌の実際について、簡単な素描をおこなってみたい。

19世紀、イギリスやドイツでは、10年周期の恐慌が頻発していた。前述の資本の原理を典型的に体現した恐慌で、相対的過剰人口を吸収しきった好況のピークにおける国内の労働力の限界と生産設備の約10年という更新期間に規定されたものとみることができる。

20世紀になると資本主義は金融独占資本を形成した列強による世界支配という帝国主義の時代を迎える。資本主義の競争は独占にとってかわり、その不均等発展は20世紀前半、2度の帝国主義戦争を引き起こした。ケインズ経済学は、1929年の世界恐慌に対して公共投資を促進する政策をとったが、過剰資本が抜本的に破壊されたのは戦争という代償によってであった。

 第2次世界大戦後は、1958年と1966年に過剰生産恐慌が発生するが、金融恐慌が頻発するようになったのは、戦後の高度経済成長の終焉を告げた1973年~75年の恐慌以降である(『資本の謎』P22、P51)。

金融恐慌は、1973年以降頻発するようになり、サブプライムローン問題に発し、リーマンブラザーズの破綻に至った2008年の恐慌はそれまでの金融恐慌の頂点に立つ最大級のものとなった。

ところで、この恐慌について、ハーヴェイは、労働力の不足、まして賃金の上昇は発生しなかった、している(P92~93)。これをどう、考えるか。賃金の上昇自身が恐慌の原因でないことは既にみたところだが、恐慌は労働力の問題とも無縁となったのだろうか。

 2008年金融恐慌の発生経緯からも明らかなように、それは、19世紀の好況を前段階とした周期的恐慌と違って、1973年以来の過剰生産状態・停滞の中で、生産設備の抜本的改変が行われず、その後の金融投機的な矛盾(付言すれば、債務国アメリカへ流入する巨大な国際資金循環の矛盾)が露呈したものとしてあったと考えられる。過剰生産状態―生産手段と労働力の過剰が継続する中で、余震の連鎖が次の大地震を引き起こすように2008年金融危機は起きたと言える。

 現在、金融危機は、先進国で政府の債務(ソブリン)危機へと転化するとともに、新興国ブームにその出口を見出し、アメリカを盟主とする世界支配の変更・パワーシフトが遡上に上っている。

 ハーヴェイは、「共産主義の崩壊が生じー旧ソ連圏では劇的に、中国では徐々にーおよそ20億人もの人々が国際賃金労働力に追加された」(P32)と書いている。インド・ブラジルを加えたBRICsとなれば、世界人口の40%を超える。このような労働力の供給が不況脱出の出口になっているところに、恐慌と危機の根幹に依然として労働力の問題が座っていることをみてとれるのではないだろうか。

6、資本の共―進化(co-evolve)

ハーヴェイは、資本の7つの活動領域 ―ⅰ技術と組織形態、ⅱ社会的諸関係、ⅲ社会的行政的諸制度、ⅳ生産と労働関係、ⅴ自然との関係、ⅵ日常生活と種の再生産、ⅶ世界に関する精神的諸観念が、どれ一つとして支配的でもなく独立してでもなく相互に影響を及ぼしながら共―進化をする(してきた)としている(P158)。

ところで、この7つの活動領域という概念は、ハーヴェイのオリジナルではなく、『資本論』第1巻15章の脚注に由来しているという(P162)。史的唯物論者のマルクスであるならば、「ⅴ自然との関係を土台に ⅵ日常生活と種の再生産を続けた人類が その時代のⅰ技術と組織形態に応じて生産様式=ⅳ生産と労働関係を形成し、それが基礎となってⅱ社会的諸関係―ⅲ社会的行政的諸制度を作り上げ、ⅶ世界に関する精神的諸観念を生み出す」とでも論じたであろう。

しかし、ハーヴェイは、自然的物質的基礎や経済関係の土台性より、各領域の相互性を重視する。それはスターリンの生産力決定論など、どれか一つの活動領域が決定要因だとする理論の単純化を最も危険なドグマとして考えているためである(P169~P176)。そして、実際の資本の歴史的展開は、自然の規制を受けつつ自然に巨大な影響を与え、さらに、マルクス主義が予想したより圧倒的に大きく、単純な資本主義的商品生産関係以外の力に依存して存在してきたのである。国家―金融結合体による資本の集積(P70~74)や建造環境とインフラの投資(P113~117)などがその例である。

ところで、生産様式の矛盾としてある恐慌の発生する原理と、他の諸領域との関係については、それぞれの領域の次元と関係性、それぞれの領域に内在する原理が分析されなければならないであろう。

7、資本主義の地理学―建設運輸産業の経済学

 ハーヴェイは、①ワシントンDC(安定していた都心)②ペンシルバニア州の都市(衰退した郊外)③インドのスラム(開発中心からはるかに離れた周辺)という3つの都市空間を上げ、それらが深いところで繋がりながら、全く異なる様相を示していることを提示する(P189~192)。そして、資本主義の地理学の原則として①地理的限界の克服と空間的支配 ②地理的集中と地理的差異とをあげる。

資本は、「時間と空間を圧縮」して空間を支配しようとする一方、地理的集中(独占と差異化)によって都市空間を生産し、都市空間の繁栄と劣化を繰り返して移動する。土地や建設物に投下される資本は生産性が高い(あるいは生産性を高める)度合いに応じて利潤の配分を受ける(資本論差額地代論)。

現代、都市空間の生産は、過剰資本の投下先として先進資本主義国では経済活動の40%を占めており、建設業は工業生産と比肩する一大産業なのである。付言すれば、建設・運輸労働者は労働運動の主翼を担う一方、労働者階級が抱える住宅ローンは、消費支出の大きな部分を占め、サブプライムローンの破綻は2008年恐慌の発端ともなった。

資本論では、地代・レントは土地所有者という封建的「残存階級」への利潤の配分のように描かれているが、訂正されなければならない。金融資本と結合した土地所有者は、土地と建造物に投資し、新しい地理を形成することで自らの階級的地位を強化するのである(P227~229)。

ところで、資本は、速度と空間的制限の圧縮を求めて土地に投資するのであるが、土地に埋め込まれた莫大な固定資本は寿命が長い(P240)。土地に投資された資本の価値は、自然環境・技術・社会的生産関係の変化で変動するが、土地に投下された莫大な固定資本の存在は、資本が新たな再生産関係を実現することを制約し、恐慌の発生を容易にする要因となる。

8、資本論の原理・法則が機能する次元(時間空間)

 これまでのマルクス主義では、地理とは自然的なもの、ないしは空間的距離と考えられてきた。地理が資本主義的原理を内包して作り出され、数個の法則では解明し難い複雑な変化を遂げるという思考は画期的であり、あたかも不変であると考えられてきた時間の進行が運動によって変化するという発見とも似ている。

 ところで、マルクスやエンゲルスが、時代的に先行したニュートン力学やダーウィンの進化論の影響を強く受けたことは間違いない。しかし、現代ではニュートンの法則は、速度が光速より十分遅い次元で近似するものであることが明らかになっている。また、動物の実際の進化は、例えば、巨大隕石が地球に落下したことを要因に恐竜が絶滅したという、進化論とは関係のない偶然に規定されて展開したことも明らかになっている。

 19世紀イギリスを典型として分析された資本主義の商品生産の原理(その核心的部分としての恐慌の原理)の必然性は、歴史的地理的な具体的偶然的な諸条件の次元で様々な制限や変形を受けて機能する、と考えるべきであろう。

結び 世界を変革せよ

 資本主義はそれが打ち倒されるまで、これからも恐慌・危機を繰り返し、民衆に災厄をもたらし続けるであろう。しかし、巨大化しすぎた資本主義の破綻は、変革の可能性もいたるところで大きく開いていくであろう。

大工業による近代化が世界を均質化する傾向にあったのに比して、現代のグローバリゼーションは、世界を多様性と変化の中に置いた。様々な反資本主義運動、社会運動が連携していくあり方を発見し、それを統一する資本主義に替わる新しい社会主義の展望を創造しなければならない。世界を変革するのは我々である。

以上

2013年3月