9.研究論文:マルクス経済学からみた『21世紀の資本』 トマ・ピケティの分析を検証する

1、国家統計、財務諸表を集約して近現代資本主義の実相を明らかにする

 

トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房 以下、「この本」とする、アドレスの引用は『21世紀の資本』オンラインページ)は、現在利用できる国家統計、財務諸表を集約して近現代の資本主義の実相を明らかにしている。特に、国家の徴税資料(世界トップ所得データベースWTID)を利用しているので、労働組合のボーナス交渉ではお馴染みの「決算書」(損益計算書と貸借対照表)を連想すれば、この本の「資産」や「労働所得」、「収益」と言った概念は解りやすいのではないかと思う。マルクス経済学の「資本」、「賃金」、「利潤」といった概念とはダブったり、ブレたりするものであるが、現実に入手可能なデータがこの本のような概念で整理され、現実の経済過程がそのような範疇で処理されているのであるから、ピケティの行ったデータ処理は肯定されていいと思う。

 

この本の「はじめに」の「データなき論争」「理論的概念的な枠組み」と「おわりに」の「最も恵まれない人々の利益」を読むと、1971年生まれのピケティの立ち位置が解る。ベルリンの壁崩壊を18歳で迎えた彼にとって、崩壊した共産主義独裁政権にいささかの親近感もノスタルジーもなかったという。経済学的には、古いマルキストたちの主張は現実の検証に背をむけたイデオロギー的なものに映ったようだ。しかし、同時に彼は、体制を擁護する側の経済学者たちの主張も、現実の検証に背を向けてイデオロギー的に偏向した内輪の議論に没頭していると思えたようだ。

 

このような世代の良心的な研究者からのマルクス経済学者批判は受け止められるべきだと思う。マルクス経済学は、現実の変化の分析の上に発展していかなければならない。

 

2、富を独占し、富める者はより豊かに!

 

この本の帯広告で、ローレンス・サマーズが、ピケティのデータ処理はノーベル賞ものだと言っている。膨大なデータをチームで処理したようだが、実に分かりやすく要領よく分析が行われている。

 

ピケティは所得階層を、上位10%の富裕層、その中の1%のスーパー経営者と富豪、それに続く40%の中間階級、最下層50%の貧困層に仕分けして分析を展開していく。上位10%は企業経営者や資産家の他に特権にありつくことに成功したインテリや自営業者が入る。中間層は先進国で既得権を得ている労働者階級、下層には中間層に入れない未組織労働者や女性が入るであろう。それぞれの顔が見えるようだ。

 

ピケティが示すデータは衝撃的なものだ。

 

2010年の時点での米国の所得格差をみると、上位10%(2000万人位)が総所得の50%近い所得を得ている。しかも、そのうちのトップ1%が総所得の20%を占めている。他方中間層は総所得の30%となって平均年収の75%にとどまり、下層の50%は総所得の20%の収入しかなく、平均年収の40%の収入しかない。これに対して、トップ1%は平均年収の20倍、下層労働者の50倍の年収があることがわかる。

 

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/T7.3.pdf

 

財産所有の格差となるとさらに大きく、上位10%が70%、うちトップ1%が35%を所有、中間層は25%、下層はほとんど財産を持たない。

 

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/T7.2.pdf

 

このように貧富の差は厳然としている。1900~1910年、上位10%が国の富のほぼすべてを所有していたが、現在の米国はそれと大差がない。

 

では、富裕層はその努力によって金持ちになったのだろうか? 否だ。2010年段階のフランスをみると、財産の約70%が相続によって得られていることが判明する。金持ちは、基本的に、家族が金持ちだから金持ちになったに過ぎないのだ。

 

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F11.7.pdf

 

そこでは上位10数%の者は、我々下層50%が一生かけて稼ぐ金を相続によって労せずして手に入れるのだ。

 

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F11.11.pdf

 

ピケティの分析と主張を肯定するか否かを問わず、『21世紀の資本』がこれほど社会に衝撃を与えている根底には、現代の資本主義の不平等の現実を赤裸々に暴き出したことがあるだろう。

 

3、格差の核心問題は資本の集中と集積

 

この本でピケティのいう「格差」の中心問題は、マルクス経済学でいう「資本の集中と集積」に近い概念だといっていいと思う。そういう意味ではデータは資本の集中と集積の現実的様相を示しているともいえる。

 

日本では昨今、「格差」というと、むしろ下層50%と残りの50%を比較したり、中間層である公務員労働者への妬みが煽られたりする傾向があるが、この本では、解析の中心が上位10%への所得と所有の集中に置かれている。

 

ところで、ピケティの分析ではデータに従い、上位10%の収入をその形態から労働所得と株式配当や利子などの資本収入に分離して分析されている。だが、個人経営者の所得が混合所得とみなされるにもかかわらず、上位10%、とりわけトップ1%の報酬が社会的内容からして労働者の賃金と同質にみなされることは合理的だろうか?

 

マルクス経済学には「剰余価値の利潤への転化」「利潤の利子と企業者利得への分割」という概念がある。経営者が受け取る報酬は、労働者の賃金と区別して資本の利潤の一部とみなす。日本の労働基準法41条でも経営と一体的な立場の管理監督者の賃金は一般の労働者の賃金とは区別して扱われる。その方が社会関係からして合理的と思われる。

 

ピケティが示す2010年段階での米国の「労働所得」での格差をみてほしい。上位10%が「労働所得」の30%を独占している。

 

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/T7.1.pdf

 

ピケティは1980年以降の最高限界所得税率の低下が米国の「スーパー経営者」を生み出したとしている。要するに、資本家階級が「配当」や「利子」ではなく、「報酬」として利潤を受け取るようになったということではないか。そうするとマルクス経済学でいう「賃金」は「労働所得」の約70%でしかないともいえる。

 

4、格差形成の歴史的推移

 

先進国の上位10%の占める所得占有率や資本所有率の歴史的推移をみると、2010年代の世界的な富の格差は、1900-1910年のヨーロッパの富の格差に匹敵するという。

 

①20世紀初頭まで上流が富を独占してきたが、②1914~1945年の第1次世界大戦―ボルシェビキ革命―大恐慌―第2次世界大戦という経緯とその後の新しい税制と資本統制を経て1950年代には資本の分配率は史上最低になった。

 

しかし、その後、③1979年サッチャーと1980年レーガンの勝利、1989年ソヴィエト崩壊、1990年代金融グローバリゼーションと規制緩和が資本比率の増大を加速し、再び格差が20世紀初頭に迫る勢いで拡大しているという。

 

ピケティは、②の時期の1955年にサイモン・クズネッツが「資本主義の段階が進むと所得格差は釣鐘型に自動的に下がる」と主張したのと同じ統計手法を使って今日の研究を進めた。その結果、1913~1948年に米国の所得所有格差は急激に下がっていたのであるが、1980年以降、逆に格差がU字型に再び広がる過程に入っていることが判明したのであった。以下の資料を参照されたい。

 

20世紀フランスにおける格差の縮小

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F8.1.pdf

 

米国の格差 20世紀初めはフランスより少なかったが、著しく格差拡大

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F8.5.pdf

 

米国における超高額給与の台頭

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F8.8.pdf

 

ピケティは上記の格差の縮小から拡大を様々なデータから解析していく。

第1に、ヨーロッパと米国におけるβ=資本/所得比率 の再建である。上記①の期間に5~6倍だったβの構成比率は②の期間に3倍程度までに落ち込み、③1970年頃から回復が見られて現在は5~6倍の水準に戻しているという。

 

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F3.1.pdf

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F5.1.pdf

 

第2に資本の分配率と収益率、資本の国民所得におけるシェアもそれに対応した一定の回復が見られるという。

 

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F6.2.pdf

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F6.4.pdf

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F6.8.pdf

 

5、ピケティの法則は正しいか?

 

ピケティは資本主義の第一法則として、

α(資本由来所得の率)=r(資本収益率)×β(資本÷総所得) を挙げる

 

式を整理すれば、α(資本由来所得の率)=資本収益率×資本/総所得となり、ピケティもいうようにこれは法則というより定義(トートロジー)である。

 

第二法則としては、β(資本/所得)=s(貯蓄率)/g(成長率) を挙げる。

 

これはピケティのオリジナルではなく、1930~1950年代の「二つのケンブリッジ論争」に使われたg(成長率)=s(貯蓄率)/β(資本/所得)の組み替えである。当時は、「技術的にβは一定であるから成長率は貯蓄率に規定され、それは人口増加率に等しくなければならない」というロイ・ハロッドの理論の是非を巡る論争に使われたという。

 

第二法則は、厳密にいうと数式では無く、成長に比して蓄積率が高いと資本構成が高度化するという意味であると解される。

 

ピケティのデータの分析によれば、

 

r(資本収益率)は、18~21世紀において、4~5%ないし3~6%で大きな変化はなかったという。

 

g(成長率)は、1913~2012年までは3%の高成長であったが、1%の成長が100年で2.7倍の経済規模をもたらすという累積成長率、成長の約半分を担ってきた人口増加が低減することを考えると、長期の歴史的展望に立つ時、低成長が見込まれるとする。

 

産業革命以来の世界の成長 http://cruel.org/books/capital21c/pdf/T2.1.pdf

累積成長率 http://cruel.org/books/capital21c/pdf/T2.2.pdf

 人口増加率 http://cruel.org/books/capital21c/pdf/T2.3.pdf

 

s(貯蓄率)と成長率の関係をみると、先進国では、成長率は大差がないが、貯蓄率は開きがあり、しかし、総じて貯蓄率は成長率を常に上回るという。貯蓄率には家計貯蓄と企業貯蓄があり、その比率は国によって大きく違う。

 

富裕国の貯蓄率と成長率 http://cruel.org/books/capital21c/pdf/T5.1.pdf

家計貯蓄と企業貯蓄 http://cruel.org/books/capital21c/pdf/T5.2.pdf

 

β(資本/所得比率)については、先にみたように20世紀初頭までに5~6倍だったβの構成比率は、大戦間とその後の過程で3倍程度までに落ち込み、1970年頃から回復が見られて現在は5~6倍の水準に戻している。

 

第一と二の法則を一つの式にすれば

 

α(資本由来所得の率)=r(資本収益率)×s(貯蓄率)÷g(成長率)

 

となり、s(貯蓄率)を定数として省くと α(格差率)=r(資本収益率)/ g(成長率)

 

「r>g」:資本の収益率が成長率を上回ることが、格差拡大(αの拡大)の根本的な力だと結論づける。ただし、ピケティは、資本収益率が成長率よりも高くなるのは論理的必然ではなく歴史的事実だとする。

 

これは正しいだろうか?

 

一般に、資本の拡大=成長は生産力が一定だと仮定すると利潤から次回生産に投資された資本の大きさで決まると言っていい。利潤は浪費されたり、実らなかったり、価値を減じたりする部分があるから、利潤率が成長率を上回るのは論理的に必然と言える。

 

ただし、実際の投資は、先の貯蓄の構成のデータにもあったように企業の資本・内部留保=収益から投資される部分と報酬や賃金として分配されたものが預金や株式購入を通して還流する部分があるから、「利潤」と「収益」は同じではない。

 また、収益の分配に規制をかけて平等化を追求する協同組合のようなモデルでは収益率の増加が自動的に格差を拡大するものとはならないであろう。

 

他方、周知のことであるが、資本主義においては、収益率が高いほど成長率が高いという傾向にある。すなわち、rgは、正の相関関係があるともいえる。

だから「脱成長理論」のように成長を抑制することで格差を抑制するという理論も十分合理性がある。

 

昨今の中国やインドに明白なように、成長が格差を生むということもよくある資本主義の現実である。

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F9.9.pdf

 

そうすると、r>g という関係が格差を拡大する動力ではなく、資本が労働者を搾取し、利潤を蓄積することで資本の集中と集積=「格差」が進むという関係が、αの拡大としても表現されているということではないだろうか。

 

6、格差を縮小した力は成長か、階級闘争か?

 

ピケティが、「r>g」、資本の収益率が成長率を上回ることが、格差拡大(αの拡大)の根本的な力だ、歴史的事実だと結論づける根拠は、1914年から1970年くらいまでの先進国における経済成長が収益率を上回って格差を縮小した歴史的事実である。

 

しかし、この期間、「格差」が縮小したのは単に先進国の経済成長のためではなく、1914年第1次世界大戦―1917年ボルシェビキ革命―1929年の大恐慌―1939~45年第2次世界大戦―1949年中国革命―1968年パリ5月革命などにおける階級闘争とそれに対応する先進国政府の対応によると考えるべきではないだろうか? 恐慌自体は25%の労働者が労働所得ゼロになったのだから格差を拡大したとも言える。戦争もしかりだ。ピケティ自身も「資本とその所得からくるフローを減らす力の核心は政治的力」としているが、政治的力の核心は階級闘争と大衆運動に他ならない。

 

ところで、上記の期間は、ヨーロッパ・アメリカとアジア・アフリカ間の格差は拡大している。 http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F1.3.pdf

 

帝国主義的な中心で大衆消費型の社会が花開く一方、経済的な従属に追いやられた周辺的後進国は停滞し、格差が拡大していたことは忘れてはならない。

 

逆に、1980年以降の格差拡大は、先進国で労働運動が抑え込まれ、企業が収益を上げても労働者の賃金を上げないことの結果であることは明白だと思う。

 

7、富の大きさは比較できるのか

 

ところで、ピケティは限界価値理論の流れから、富と資本は同じであるとし、富の大きさを金額で比較する。しかし、歴史的に富がいつでも資本であったわけではないし、また、質的な差のある富の内実は比較できない。資本主義に先行する時代は多くの無料の富を人類は活用していた。

 

比較するためには金額を用いる必要があるが、財産の金額は時間により変化する。この金額の変化は通貨価値の変動からくるインフレ(あるいはデフレ)にもよるが、生産力の発展による価格の下落もある。

 

ピケティは技術が成長をもたらすとしているが、価格自身は技術の進歩で低下する。最初に新技術を導入した企業は商品を高い価格で売ることができる(特別剰余価値の形成)が、社会的にその技術が普遍化すると商品の価格は低下する。

 

1914年~45年の資本価値の崩壊は物理的破壊だけでは説明できないとピケティもいう。戦争や恐慌による物理的破壊とセットで急速に新しい生産技術が導入されたことで資本価値の崩壊が起きたと考えられる。

 

また、スマートフォンは2~30年前なら研究室にしかないような高価なものであっただろうが、現在は技術進歩の結果、多くの中高生が持ち歩くまでに価格が下落している。

 

上記のようにピケティの限界価値理論への留保をつけた上で、この本についていえば、同時代の価格を比較したり、インフレを補正したり、時代ごとの所得構成比を比較することで、経済の実態の「規模感」を実によく表現していると思う。

 

8、マルクス「利潤率の傾向的低下の法則」について

 

ピケティがこの本でマルクス経済学を具体的に批判している箇所は、「利潤率の傾向的低下の法則は実現しなかった」ということである。

資本論の「利潤率の傾向的低下の法則」とは、資本の蓄積が進めば、資本における機械等の固定資本の比率が増大し、利潤の実態たる剰余価値を生み出す労働力の比率が下落するから利潤率も傾向的に低下するという理論である。

 

確かに、マルクス死後にエンゲルスが編集・完成した資本論ではこの「利潤率の傾向的低下の法則」が最終第3巻に配置され、資本論の結論のようにも読める。しかし、実際の資本論の執筆は第2巻の再生産表式にこだわり続けて行われていた。そこで、相対的過剰人口の牽引と反発や資本構成の問題と合わせて、資本主義の最大の原理的な矛盾である恐慌のメカニズムが追及されていたと考えていい。

 

したがって、「利潤率の傾向的低下の法則が資本主義の崩壊もたらす」というのがマルクス経済学の結論のように捉えるのは単純すぎて正しくない。

 

 さらに、「利潤率の傾向的低下の法則」それ自身について言えば、資本論では技術の進歩が機械の低廉化をもたらすなど、この法則と反対に作用する要素があることを既にその箇所で指摘している。また、この法則は大工業を想定しているので、先進国の労働者の7~80%がサービス部門で働くようになると当てはまらないのは当然ともいえる。

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/T2.4.pdf

 マルクス経済学は、労働価値説に立ち、労働者による剰余価値の生産と資本によるその搾取、資本の集積と集中、最大限利潤の追求を求められる競争の強制法則等、資本の基本的な動力を明らかにしている。レーニンの帝国主義はその経済理論を20世紀初頭の資本主義の変容の中で発展させようとしたものだ。現在のマルクス経済学は、21世紀の資本主義の現実を分析する概念として発展させなければならない。

 

 

9、世界的な資本累進税というピケティのオルタナティヴ

 

ピケティは、格差是正のオルタナティヴとして世界的な資本累進税を提案する。そのことによって民主的でかつ、金融的透明性を確保できるものだとする。

 

ピケティは、とりわけ税制について造詣が深い。フランス革命、アメリカ独立戦争・・・政治的蜂起の核心には財政革命が存在した、という。

 

累進所得税は20世紀のイノベーションである。税率は第1次世界大戦とボリシェヴィキ革命後激増した。累進相続税も同様である。

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F14.1.pdf

http://cruel.org/books/capital21c/pdf/F14.2.pdf

 

しかし、サッチャーとレーガンが勝利した1980年以来の米英における所得税累進課税はすさまじい低下を極め、スーパー経営者の高労働所得の増加をもたらした。自由な資本フロー競争における税制競争により多くの政府が資本所得を累進所得税から除外した。結果、多くの国で税金は所得税トップに逆進的となり、2010年フランスでは、底辺50%は所得税の40~45% 中間層では40%は45~50%なのに対し、トップ0.1%は35%となり、遺産は所得よりもずっと税率が低くなっているという。

 

ピケティの提案はユートピアだという批判があるが、この本を読むと必ずしもそうではないような気がしてくる。20世紀前半、米国では過剰な所得には没収に近い98%の課税を行ったという。機会の平等を阻害すると社会が混乱するというコンセンサスがあったのだろう。

 

最近では、2013年3月のキプロス危機において、例外税が徴収された。それは累進性が不十分で課税ベースが不透明なものであったというが、今や、国家自身が何らかの税制的な打開がなければ財政危機を乗り越えられない地点にきているのだと思われる。

 

しかし、それでもやはり、資本に累進課税をして格差を縮小させるためには、大衆運動の圧力が必要であろう。

 

ピケティは、19世紀のマルクス社会主義と20世紀のソ連の実践が失敗した原因として、「私有財産と市場経済は労働者に対する支配を確実にするだけの役割ではなく、何百万の個人の行動を調整する便利な役割を持っていて、それがないとなかなかやっていけない。ソ連式の中央集権計画経済が引き起こした災害はそのことを示している」と提起している。

 

われわれは資本主義をどのように抜け出していくのか、真剣な議論がなされなければならない。

2015年1月3日