目次
<はじめに 本書の魅力>
『ツイッターと催涙ガス』は、ゼイナップ・トゥフェックチー氏が2017年に書き上げた論文である。トゥフェックチーさんは、1980年のトルコのクーデター後の時代に成人を迎えた女性で、プログラマーにして社会学者である。
本書は、21世紀の最初の10年でSNSが誕生した後の、2011年「アラブの春」(1月チュニジアやエジプト・タハリール広場)、2011年9月ニューヨークのオキュパイ・ウォールストリートのズコッティ公園、2013年トルコ・イスタンブールのゲジ公園の占拠と抗議闘争、さらには2013年からの「ブラック・ライブズ・マター」(BLM)、2014年香港・雨傘運動などについて、観察と考察と調査を継続し、あるいはビッグデータにアクセスしてこれらの反権威主義的な左派の運動の強さと脆さ、その課題を検証したものである。
読み始めると、本書の魅力に憑りつかれて短期間で読了してしまう。本書の魅力は、
第一に、20世紀の革命的な闘争(おそらく達成した革命の最後のものが1979年イラン)以降の現代の社会運動のダイナミズムをリアルに伝えてくれていることであり、
第二に、デジタル・コネクティビティ技術が引き起こした社会と運動の変化の錯綜した諸要因を、クリアな知性で見事に切り分けて解析していることであり、
第三に、トゥフェックチーさんの活動家たちへの深い共感とリスペクトが胸を熱くすることである。
本書は古参の活動家が知らない現代の世界を教えてくれる一方、闘うとはどういうことなのか、という今も昔も変わらない普遍的な問題を思い出させてもくれる。以下、本書の内容をみていこう。
(1)ネットワーク化された社会運動の特徴と文化
1994年に蜂起したメキシコのサパティニスタは、1997年インターネットで世界中の活動家を「エンクエントロ(出会い)」に招待した。丁度その年のWTO総会抗議デモがネットワーク化された最初の世界的運動となった。
21世紀の最初の10年でSNSが誕生し、2011年「アラブの春」、2011年9月オキュパイ・ウォールストリート、2013年トルコ・ゲジ公園の占拠、2014年香港・雨傘運動などが続いた。
この書では最新技術のアフォーダンス(環境が人間に与える意味)を考察する。インターネットは運動を劇的急激に成長させる。デジタル技術のおかげで一般人も何百万人に声を届けられる可能性を獲得し、共通の目的を持った多数の参加者を迅速に集められる。抗議活動はそれぞれのハッシュタグで呼ばれ、権威主義国家が公共圏の支配を失い、民主主義国家でも不平等など国の優先課題でなかった問題がSNSで最前線に押し出された。
2010年6月エジプト、ハリド・サイード虐殺を伝えるフェイスブック(FB)ページをワエル・ゴニムが立ち上げ、閉鎖の危機を乗り越え、2011年1月25日タハリール広場へと招待、毎年数百人だった集まりは数千人に膨れ上がり、政権打倒へと向かう。
「スラクティヴィズム」(ネットで発信するだけの怠惰な活動家)論やバーチャル二言論ではなく、オンラインで人々は強い紐帯を結ぶことができる。(圧倒的に多くの)抑圧的な国でツイートすることは、ニューヨークの反戦デモに参加するより大きな危険が伴い、勇気が必要なのだ。
これらの運動は「リーダー不在の水平主義」「アドホクラシー(臨時体制)」という共通の文化がある。デジタルツールのおかげで水平主義的組織が簡単にできるようになった。
2011年11月エジプトの抗議者と治安部隊の衝突では医療品の兵站は、「タハリールサプライ」のアハメッド(21)と20代の女性3人(カイロ2人、ロンドン1人)の4人が通常のデジタル技術をもって昼夜交替で行った。2013年6月のゲジ公園は強硬な警官に対峙しながら、完全に組織化された場所だった。
全てが即断即決、既存の組織は役に立たなかった。チラシの替りにツイッター、募金活動の代りにクラウドファンディング、直接会う代わりにスプレッドシートが使われた。
インフラ構築のノウハウが時間と場所を越えて共有され、伝統的な政治的区分に当てはまらない友情と連帯のネットワークが生まれる。チュニジアに来たTATOOを入れたポリアモーリーのアメリカ人ハッカーはヴィーガンで酒を飲まないが、アラブの活動家達は煙草を吸って子羊のシチューを食べていた。ゲジ公園ではLGBTQの若者と伝統的なクルド人中年女性が「私たちにはこんなに共通点がある」と抱き合った。
成果は参加しなくても得られる(フリーライド)にもかかわらず、なぜ、人々は時に死のリスクすら犯して抗議に参加するのか。
多くのキャンプにまず図書館が設置された。それは商品化されていない知識という倫理の象徴であった。抗議活動は怒りの結果であり、同時に要求の示威、自己表現の場であり、相互の利他的行為のコミュニティであった。抗議活動は手段でもあるが目的でもある。オンライン・オフラインを問わず、人々は所属を求める。
ゲジ公園では「他人がこんなにいい人ばかりだなんて想像したこともなかった」と人々は言い、1000人が命を落としたタハリール広場を人生で最良の日々と表現する人は多い。キャンプはウッドストックとコミューンをたして2で割ったようなものであった。思えば、フランス革命のスローガンも「自由・平等」ともに「友愛」であった。
連帯の感情こそが抗議活動に参加する理由の中心的部分だ。
(2)ネットワーク化された運動の脆さと課題 「戦略のフリーズ」
避けられない問題を切り抜けていく能力がないと運動は長期には行き詰まる。しかし、2011年以降のネットワーク化された運動は画期的な戦略を考案するが、途中で変更できず、「戦略(あるいは戦術)のフリーズ」に陥る。オンラインで組織された運動は最初にハイライトがあり、長期的な運動のための骨の折れる作業が後に続く。
それに対し、 公民権運動は、1910年全米黒人地位向上協会設立、その活動家のローザ・パークス逮捕を出発点とする1955年モントゴメリーバスボイコット事件などを経て、1963年のワシントン大行進でピークを迎える。逮捕には謄写版印刷で5万2千枚のビラと325台の自家用車を動員、組織が存在したからこそ厳しい弾圧(キング牧師の自宅の爆破)にも耐え抜けた。様々な構造の中で培われた能力こそ成功には必要であり、内部対立もSNSで大ぴらにおこなわれることはなかった。
運動は時間とエネルギーを投資して協働と意思決定の方法について信頼と理解を獲得した。一見無意味に見える作業が集団に能力を与える。公民権運動はボイコット・座り込み・フリーダムライド・大行進と柔軟に戦術転換し、ワシントン大行進を実現した。
2011年タハリール広場・2013年ゲジ公園・2015年香港雨傘などネットワーク化された運動は組織化の能力を養わなくても短い期間で最初の大規模な抗議を組織化し、ある種の後方支援の作業もこなす。しかし、この速さが弱点にもなる。
①戦術の転換が難しく戦術のフリーズを引き起こし、
②リーダーシップなしに運営できるが内外の交渉ができず、拘束力のある決定もできない。そして、
③当局を脅かすに十分なシグナルが伝えられない。
タハリール広場では経験を積んだ活動家は軍政への逆戻りを察知したが、ムバラク大統領辞任という要求から踏み出すことができないでいた。ニューヨークのオキュパイ運動はスポークス委員会すら否定した。ゲジ公園では交渉者の選択を政府にゆだねることになり、政府に対抗する力を削がれた。
21世紀の運動がトップスピードで走りながら危険なカーブを曲がりきれなくなるのである。
(3)「運動の能力」と「シグナル」
2003年2月ニューヨーク反戦デモは世界最大の反戦集会(ギネス登録)となったが、ブッシュは1か月後にイラク進攻を開始した。2011年アラブ蜂起でカイロには数十万人が集まり、政権を打倒に追い込んだ。社会運動の成功は規模だけでは測れないことは明らかだ。
そこでは、本書では社会学あるいは生物学の概念を援用し、「運動の能力」と「シグナル」について考察を進める。
「運動の能力」としては、
①「物語の能力」(物語の真相について人々を説得すること)、
②「打破の能力」(占拠、ボイコットなど)、
③「選挙・制度の能力」の三つを考察する。(革命的闘争で比喩すれば、①イデオロギーと宣伝扇動、②物理的な闘争、③選挙など合法的な闘争、とでもなろうか)
「シグナル」とは元来、生物学の概念で、好ましい結果の為に潜在能力を意図的に相手に伝えることである。それは正直なシグナルも欺くシグナルもあり、宣言するだけの「チープトーク」でも効果の可能性はある。
例えば、2011年1月25日にタハリール広場に集まった数千人は1年前に集まった数百人と「能力」のレベルで格段の差があった。チュニジアの革命で世界が注目する中、数百万人のFBを組織し、活動家はSNSで「物語の能力」を獲得していた。さらに占拠という「打破の能力」も示した。しかし、その後が示すように「選挙の能力」でも同じ効果を発揮したわけではなかった。
デジタルツールは「物語の能力」を大幅に強化する。BLMもSNSを活用し、スポークスパーソンやリーダーを持たずに「物語の能力」を蓄えた。
2014年8月ファーガソン事件では、ほとんどがアフリカ系であるファーガソンの住民の60%以上に罰金未払いの逮捕状が出ていること、市の予算は罰金に依存していること、議会や警察は全員が白人で、抗議を武装警官が弾圧していることを300万件のツイートが暴いた。オキュパイ運動は80か国、1000に近い都市で抗議活動が拡大したが、「われわれは99%だ」というキャッチスローガンもSNSがなければ注目は集まらなかったであろう。
他方、デジタル技術は「能力」の関連性を切断し、いびつな社会運動が出来上がる。「最初にクライマックスがある」という運動の奇跡の逆転が発生し、「戦略のフリーズ」を経験する。ネットワーク化された運動は、首をはねられ難いが、内部の政治的争いに対処する手段もない。それでも、スペインのポデモス、ギリシアの急進左派連合、米国バーニー・サンダースの選挙など、ネットワーク化された抗議運動が、後に「選挙の能力」へと発展していくケースも見られる。
(4)抗議者たちのツール プラットフォームとアルゴリズム
1848年の革命・ヨーロッパ「人々の春」をはじめ、19世紀から20世紀の変化は新聞・鉄道・電報、続く電話、ラジオ・テレビから発生した。21世紀はコンピューターとインターネットとスマートフォンが公共圏を劇的に変えた。
メルビン・クランツバーグは「技術は善でも悪でもない。中立でもない」という。デジタル・プラットフォームのポリシーや規約を決める立場の大手営利企業もその国の経済的現実や自社の経営的動機の中に埋め込まれる。市場は製造者だけではなく消費者も必要とする。ツイッターのハッシュタグはユーザーが開発したイノベーション。トルコではツイッターボットがアカウントを閉鎖された人を探し出すのを助けた。
情報コネクティビティはアルゴリズムを伴う。デジタル技術の機能は非常に柔軟で強力で、数十億人が瞬時にコミュニケーションが可能となる。路上の抗議活動がオンライン活動より強力と信じる理由はない。
FBの基軸通貨は「いいね」は後に活動家を葬り去ることになる。エジプトの FBページ「我々はハリド・サイードだ」は数十万のアクセスを獲得したが、2010年11月、FBは「偽名」を理由に突然これを凍結、海外のエジプト人女性がリスクを引き受け、実名で受け継いで1月25日への招待を実現した。
FBの実名主義はCEOザッカーバーグのイデオロギーだが、商業的メリットがあることは明白だ。ザッカーバーグのビーストという名の子犬すらFBページを所有している。
SNSでは認知度は民間企業が決定するアルゴリズムによって決定される。従来のマスメディアとその編集への依存を減らして運動に貢献したSNSは、広告収入のために閲覧数増加を目標とするビジネスモデルによってネットワーク化された公共圏を商業空間へとシフトしていく。
FBは15億人のユーザーを持ち、グーグルは毎日30億件の検索がある。SNSは同じ会社にしかつながらない携帯のようなもので、数億人のユーザーがいるツイッターですら投資家には小さすぎる。ネットワークの効果はより多くの利用者がいる程便利だが、それは集中化と監視の傾向を強める。
(5)コミュニティ・ポリシング
プラットフォーマーは、コミュニティ・ポリシング(地域住民参加による警備、通報による削除)というポリシーでサイトの監視を行っている。
違反を指摘されて削除しなかった場合を除き、サイトの運営者は投稿された内容に法的責任を負わない米国法律モデルが基礎になっている。企業はユーザーの規模に比して極めて少数のスタッフしか必要としない。
ゼネラルモータースは数万人の直接雇用とサプライチェーンで数百万人を雇用しているが、FBは15億人のユーザーに対して12600人を雇用しているに過ぎない。
FBでは実名を使っていなくても通常問題ない。活動家は当局や反対者に通報されやすく、社会運動はコミニティ・ポリシングの標的にされやすい。
学習した政府は、反対派の通報を金銭を支払うなどして奨励している。弾圧下の国では活動家はニックネームを使うが、トルコでは政敵をスパムとして通報し、通報されると何カ月もサイトが凍結される。
削除基準は一様でないが、商業的法律的イデオロギー的圧力の下、方針を動かすのは金銭的関心であり、知的財産法・著作権については積極的包括的に保護措置が取られている。ツイッターは規制が少なく、FBは厳しい。グーグルの所有するYOUTUBEは暴力表現を禁止していたが、批判を受け、軍や警察の職権乱用を暴く動画は認める決定をした。
2002年トルコではPKKとAKP政府との和平が実現、クルド人主体の政党が躍進し、クルド人地区最大都市の市長のFBには40万人以上が「いいね」をつけたが、長期に閉鎖された。トルコ政府の介入ではなく、アメリカ国務省のテロリスト組織リストにPKKが指定されていることにFB区別できず、PKKの創始者を支援あるいは表示するコンテンツを削除するよう指示していた。ナショナリストのトルコ人がコミュニティ・ポリシングを使って通報、モニタリングはダブリンでアウトソーシングされていた。
数億人のユーザーがコンテンツを共有するSNSでは全部を全員に表示できない。ツイッターも時系列表示からアルゴリズム表示に徐々に移行しつつある。FBのニュースフィード、グーグルの検索のアルゴリズムは社会運動にとって強力な追い風にも頑丈な障害にもなる。
ネットワーク化された公共圏は数回のクリックで社会運動が数億人に広がる可能性を持つが、同時に、サービス利用規約違反だという通報やアルゴリズムのせいで沈黙させられる可能性もある。
2014年ファーガソン事件(マイケル・ブラウンさん(18)射殺)ではFBのアルゴリズムは重大な障害になった。替わりに表示されたのは「アイスバスケットチャレンジ」。おそらくはアルゴリズムはサイト広告主に都合のよいように設計される。支配者はFBのプログラマーとビジネスモデルだ。幸いファーガソン事件はツイッターで拡散した。
ツイッターの共同創始者・ジャック・ドーシーは「権力に対して真実を語る」ことを理念とする。しかし、その自由放任主義の環境が、活動家に殺害の脅しを一斉に浴びせることになる。攻撃者は同じアフォーダンスを使って攻撃を組織化、個人情報をネットでさらす「ドキシング」や警察を対象者に向かわせる「スワッティング」を行い、自分を隠したままで女性・マイノリティ・反体制派を攻撃している(日本でも辛淑玉さんや伊藤詩織さんがこのような攻撃で海外移住を余儀なくされた)。
活動家は実名主義のマイナス面と仮名のプラットフォームの脅威の狭間に立たされる。
デジタル・コネクティビティは右派も活用するところとなる。米国ティーパーティー・パトリオットは2009年2月19日、ケーブルテレビでモラルハザードを告発、SNSを駆使して4月15日「税の日」に50万人を集め、その後、富裕層からの支援を駆使して選挙のプロセスに深く関与、FBを使って議員連盟設立、2016年ドナルド・トランプ大統領当選へとつながっていく。
(6)政府の逆襲 「注目」と「信憑性」の否定
2011年1月、ムバラクが携帯電話とネットを遮断したことは完全に裏目に出た(ストライサンド効果)。暗闇に放り込まれた国民はタハリール広場へ集まり、残っていた政府と大企業をつなぐプロバイダや衛星電話を使用した連絡が行われた。注目こそが社会運動のリソースである。
地球上の人口よりも携帯の契約数が多い中、SNSはマスメディアほど規制が簡単ではない。IPアドレスを偽装するVPN、発信元と内容を隠すブラウザTor、エンドユーザーを暗号化するワッツアップ、放送機能として使われるテレグラムも存在する。
各国政府は新しい公共圏とデジタル・コネクティビティの規制を学習しはじめ、情報過多を作り出すことで「注目」と「信憑性」を否定することを始めた。
権力者は、情報の発信→個人の意志・主体性の発生→抗議活動→社会運動という因果関係の連鎖を断ち切ることを狙い、迅速かつ効率的に情報の真偽を確かめる方法がない情報過多を作り出す。抗議活動を無視させ、別の抗議運動を組織化、政敵や反体制派への嫌がらせを促す。
どの国よりも敏捷な戦術を実施しているのは中国である。万里のファイアーウォールを築き、「微博」や「人人」など自前のプラットフォームを用意している。2014年雨傘運動に対しては中国政府は戦略的な忍耐と意図的な「注目」の回避をおこなった。中国政府は極めて多数の投稿を24時間以内に削除できるが、一般に批判は削除せず、集団行動を促す可能性のなる投稿を削除する。政府の職員が政治的に重要な時期に大量の別の投稿を行い、「気をそらす」。
ロシア政府は「トロール部隊」によるフェイクニュースの拡散や反対派への集中的な嫌がらせを行っている。スウェーデンのNATO加盟問題では、「NATOにスェーデンが加盟したら核兵器を配備する」「承認なくロシアを攻撃する」とのデマが拡散された。
2015年トルコ南部でクルド反乱軍との対立が再び激化した時、SNSでは破壊された家や撃たれた女性と子供の画像に対して「フォトショップで加工したもの」だとか「別の場所だ」とかいう非難が浴びせられた。9月難民船が転覆、トルコの浜辺にシリア難民アイラン・クルディの遺体が打ち上げられた写真が拡散すると、右派サイト・ブライトバードなどから多くの言いがかりが寄せられた。
米石油燃料業界はSNSで気候変動の科学的見解に疑問を向けるキャンペーンを行っている。2016年米国大統領選挙では外国政府が米民主党の選挙キャンペーンの情報を不正に入手した。「オバマが司法省の予算をクリントンに投入」「オバマが離職を拒否」などフェイクニュースをでっち上げるアルバイトでマケドニアの青年はゴールドラッシュ沸いた。
デジタル技術は双方に武器を与える。情報過多は情報の真偽を確かめることを極めて困難にし、エコチェンバーによる二極化を作り出す。左派は行動を呼び起こすには「注目」と「正当性」が必要だが、権力者は単に行動させなければよい。疑惑が生む無力化は運動のエネルギーを剥奪する。
インターネットが政府の追跡力を大幅に向上させた。Eメール、SNSが乗っ取られ、暴露され、脅迫に使われる。アゼルバイジャンでは反体制派の女性の寝室が盗聴されている。DDOS攻撃は反体制派の手段から権力者の手段となった。 今や、アラブの春を作ったSNSがアラブの春を壊しつつある。
<最後に 「尋ねながら我々は歩く」>
本書を読むと、デジタル技術の変化がコミュニケーションの在り様と社会を如何に大きく変化させたかが良く解る。情報過多の中でのフェイクニュースの氾濫やネット上での活動家への脅迫が現代の情報構造に深く規定された情報支配様式になっていることが明らかになる。勿論、この社会変化は、コミュニケーション技術によるだけではなく、土台である世界経済構造の多極化という変貌にも深く根差しているのではあるが。
本書は、2016年、あれほどデジタル・コネクティビティを嫌悪したエルドアンが、それによってクーデターを阻止した事件を見届けて書かれている。素晴らしかった「アラブの春」が深刻な混沌をもたらしていた。
しかし、それでもその後、現在、スーダンとアルジェリアで新たな蜂起が起り、香港では「引き渡し条例」反対の抗議が爆発している。バーニー・サンダースの選挙は、イルハン・オマルやオカシオコルテスら4人の勇敢な女性マイノリティ議員の誕生に引き継がれた。運動の歩みは止まってはいない。
トゥフェックチーさんは、サパティニスタとスペインの若い女性が期せずして語った同一の言葉を最初と最後に引用している。「尋ねながら我々は歩く」。
そして、こう続ける。「過去から学ぶことは確かに大切だが、前に歩みを進めること、疑問を発し続けることの方がもっと大切だ」。
2019年8月